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2012-09-11(Tue)

<東日本大震災>1年半 南三陸の漁師、姉を捜し海へ

<東日本大震災>1年半 南三陸の漁師、姉を捜し海へ

毎日新聞 9月11日(火)12時51分配信

 あの日まで、大切な人は確かにここにいた。生きた証しを取り戻したい。東日本大震災から11日で1年半。被災地には今も行方不明の家族を捜し続ける人たちがいる。

 ◇「爪のかけらでもいい」

 237人が見つかっていない宮城県南三陸町。漁師の千葉仁志さん(34)は沖に出るたび、姉の小野寺光子さん(行方不明時35歳)を捜す。「爪のかけらでもいい。ミイ、おれはあきらめないよ」。波間に目を凝らし、網を祈るように引き揚げる。

 町東部にある歌津半島。千葉さんは震災後間もなく、父正志さん(64)と海に出ては網を仕掛け、朝に晩に引き揚げた。魚を取りたかったわけではなかった。「ミイだけでなく、他の人も見つけられたら」。網にかかるのは布団や衣類ばかり。やがて本格的な漁も再開した。季節の魚がかかるたびに思う。「サケかあ。ミイは筋子が好物だったな。もう一度、食わせてやりてえな」

 昨年3月11日。父子は家族を高台に避難させた後、津波から漁船を守るため沖に出た。2日後、陸に上がると浜の自宅は消えていた。同居する5人の家族は無事だったが、近くに嫁いだ光子さんの行方が分からない。南三陸町役場の議会事務局で働いていた。

 仁志さんは父と役場周辺を歩き続けた。光子さんの姿はない。同僚らの話で、42人が犠牲になった町の防災対策庁舎で津波にのまれたと知った。当時の映像を持っていた人がいたが、つらくて目を向けられなかった。

 震災から5カ月後の月命日。骨組みだけが残った庁舎に、父母と3人で線香をあげに行った。父は泣きながら庁舎の柱をたたいた。

 2人きりのきょうだいで、家族思いの姉だった。父と漁に出ていた祖父が倒れ、家計に余裕がないと知り、大学進学をあきらめ仙台の専門学校に進んだ。自分の暮らしは質素なのに、帰省するたび、家族に土産を買ってきた。後になり、デパートで販売員のアルバイトをしながら学費を工面していたと聞いた。

 ワカメやカキの養殖施設も流され、仮設住宅から裸一貫で再出発を図っている。光子さんを奪った海で生き続けるしかない。震災後、父は人に会うと穏やかな顔で笑う。でも仁志さんは知っている。朝早く漁港に着くと、父は一人で泣いている。

 「無理でねえかって思うこともある。だけど、おやじとお袋の腕の中に少しでも早く連れてってやりてえ」。網の手入れをする小さな父の背中を見つめた。【竹内良和】



【引用元:Yahoo.Japanニュース】

ヤフーニュースの配信を受けることにしました(勝手に引用させてもらっているだけですけど)。

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