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2012-08-16(Thu)

<満蒙開拓団>失業者や被災者も…東京発「棄民」の歴史判明

<満蒙開拓団>失業者や被災者も…東京発「棄民」の歴史判明

毎日新聞 8月16日(木)2時33分配信

 国策により1932~45年に日本の民間人約27万人が旧満州国(現中国東北部)に送り出された「満蒙(まんもう)開拓団」のうち、東京から出発した約1万1000人の全体像を市民団体が解明した。開拓民の多くは地方の貧しい農山村から出発したとされるが、首都・東京からも失業者や仕事が減った商工業者、空襲で家を失った人たちが「にわか農民」として送り出されていた。都市住民の「棄民」とも言える国策の実態が戦後67年を経て判明した。

 東京発の満蒙開拓団の存在を知った大田区の元会社員、今井英男さん(67)が07年、仲間に呼び掛けて「東京の満蒙開拓団を知る会」を作り、調査を始めた。5年かけて公文書や新聞・雑誌記事を収集し、経験者十数人から証言を得た。

 それによると、東京の開拓団は旧満州国建国の32年に開始。29年に始まった世界恐慌後の路上生活者や失業者に、農業技術指導をして送り出した。訓練所は大田区や日野市などに作られ、女性の訓練所もあり、開拓団の男性と見合いをさせて「大陸の花嫁」として送り出された。戦争が泥沼化すると、仕事が減った商工業者らを1カ月訓練し「にわか農民」に仕立てた。戦争末期は空襲で焼け出された人たちも送られた。

 45年2月の空襲で家を壊された東京都本郷区(現文京区)の猪飼征輝(まさてる)さん(80)は当時13歳。一家7人は疎開する田舎もなく、区役所のあっせんで「満州疎開」を選んだ。銀行員だった父らと数週間の農業訓練を受け、4月中旬に満州へ。だが、3カ月余で敗戦となり、全ての家財道具を現地の人に渡して見逃してもらい、逃げ帰った。「開拓は棄民としか思えない」と振り返る。

 加藤聖文・国文学研究資料館助教は「従来の研究は『満蒙開拓イコール疲弊した農村の救済』に焦点が当たっていた。どんな人がなぜ行ったのか、全体像を明らかにした貴重な調査だ」と評価する。

 知る会は調査内容を「東京満蒙開拓団」(ゆまに書房)にまとめ、今月出版する。同会の連絡先は03・3732・1598。【青島顕】

 【ことば】満蒙開拓団

 関東軍が1931年に満州事変を起こして作った中国東北部のかいらい国家「満州国」の支配を確立するため日本政府が32~45年に送った移民団。政府は36年、100万戸計500万人を移民させる国策を決めたが、実際は約27万人だったと推計される。敗戦後は集団自決などの死者約7万2000人、残留孤児・婦人約1万1000人(いずれも推定)を出し、敗戦間際に召集された人の多くは旧ソ連によりシベリアに抑留された。



【引用元:Yahoo.Japanニュース】

ヤフーニュースの配信を受けることにしました(勝手に引用させてもらっているだけですけど)。

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